石巻 旧大川小学校

どうもです(^^)

昨日の反省を活かし、訪ねた地点一つごとに記事を書こうと思います。そのため、しばらくは今日(8/14)訪問した場所についての記事になります。

 

昨日「楽しみ」と言っていた場所、それは

学校管理下での悲劇の舞台 石巻市立大川小学校

……はい、楽しみと言ったのは不謹慎な気がいたしますが、かねてから訪ねてみたいと思っていた場所でした。なぜ二次避難までに時間がかかってしまったのか、なぜ普段の授業でも登っていた裏山ではなく川の方へ避難したのか、多くの謎が残っている場所でもあります。

率直に感想を述べますと、ただただ呆然とするしかなかった。言葉が出なかった。やはりテレビなどの媒体を通して見るよりも、実際に見るとなんとも言い表せないような、やるせない気持ちになりました。遺族の方々の複雑な思いはあったと思いますが、これは震災遺構として残すことになってよかったと思いました。震災の悲劇を伝えるには、十分すぎるくらいの、なんとも言えない雰囲気がそこにはありました。

 

 ↓跡形もなくなってしまった体育館。震災前の写真がなければ、何だったのかさえもわからないほどに大破しています。

 

f:id:bad-hiyokko:20180814212725j:plain

↓校舎から体育館へとつながっていた渡り廊下の柱。写真右側が中庭方向であり、そこに流れ込んだ「川津波」が渦を巻いてこの渡り廊下を巻き込んだといいます。

f:id:bad-hiyokko:20180814213131j:plain

↓児童が授業を受けていた教室部分。壁は跡形もなくなっています。二階の床は津波によって押し上げられたようです。

f:id:bad-hiyokko:20180814213752j:plain

↓学校のすぐ近くにあった裏山。写真中央に見える白っぽいものが津波到達点を示しており、その上はコンクリートのたたきになっていて、集合写真を撮るときなどに使われていたそうです。左側の木々との境界付近になだらかな道があり、そこを使って普段からこの山には登っていたようです。

f:id:bad-hiyokko:20180814214019j:plain

↓最終的に教職員、児童が避難しようとした、北上川に架かる橋。橋桁の水面からの高さは低く、ここに海岸から流されてきた松の木が引っかかり、津波をせき止めたことで水が堤防を乗り越え、学校に流れ込んだといいます。

f:id:bad-hiyokko:20180814214324j:plain

ここに来て一番驚いたこと、それは

裏山が思っていたよりも近くにあったこと

なぜ授業などでも使っていたというその山に避難しなかったのか。そのときの判断はわかりませんが、とてもつらくなりました。

 

ここで起きた悲劇を繰り返さないために、さらに何があったのか調べてみたいと思いました。と同時に、防災教育とは何なのか、人の命を預かるとはどういうことなのか、すごく考えさせられました。

こういった情報で伝えられることは、あくまでも私個人の感想や、主観に基づいたものです。遺構として保存されることになったからこそ、できるだけ多くの人に自分の目で見てもらいたいと思います(アクセスが悪いのがネックですが)。

 

ここで亡くなったすべての方のご冥福をお祈りいたします。

 

それでは本日はこの辺で。またお願いします!

松島 石巻

ども(^^)

今日は松島に行ってきました。その中で思ったことと、少しだけ石巻について書こうと思います。

 

まずは松島について。お盆ということもあり、かなり観光客の方が多くいらっしゃってました。素晴らしく天気がよかった…!

松島は2011年5月以来、2度目の訪問でした。このときとの比較から書いていきます。松島は元々湾の入り口部分の多くの島のお陰で津波の被害も少なく、最初の訪問の時点でも観光地部分は再開されていました。海沿いに国道が走り、それに沿ってお店が並んでいるのですが、津波でのシャッターの壊れなども補修されており、一見すると津波なんてあったのだろうかという感じでした。しかしながら、松島海浜公園という海沿いの公園は、遊覧船の船着き場の辺りこそ被害はないように見えますが、仙台寄りの地域は去年の冬ようやく改修工事が始まったという感じでした。まだ完全復活、と言うわけではなさそうです。前回訪問時は遊覧船に乗りましたが、津波を受けた島の外海側が大きくえぐれているのは忘れられません。今回は時間とお金の都合で乗船しなかったので、またの機会に見てみたいと思います。

西行戻しの松公園より。意外とこの場所は知られていないような気がするのですがどうなんでしょう…?真昼の一番暑いときに登ったのですごく暑かった…笑f:id:bad-hiyokko:20180813230111j:plain

土木畑に進みたい私としては、この写真に写っている赤い橋(福浦橋)を渡ってみたかったのですが、時間の都合で断念…。朝もう少し早く起きれたらなぁ。これもまたの機会ですね笑

 

お昼過ぎに松島を後にし、石巻へ。当初の予定では石巻中心部の海岸沿いをめぐる予定でしたが、松島で思ったよりも疲れてしまったので取り止めることに。石巻は今年になってから3月、5月に続く3度目の訪問です。5月のときに沿岸地域をめぐったのですが、津波の被害をもろに受けた門脇地区には公園が整備される予定であること、津波火災の影響を受けた門脇中学校がようやく保存されることになったのを知りました。そんな石巻ですが、新たな道路の整備が色んなところで行われています。進んでいるのか、いつ完成するのかわからないような道路区画が多く存在していますが、高架道路が多くなるようです。今日歩いたところでも新たな道路建設が行われており、復興にはまだまだ時間がかかるということを感じました。(写真はスマホの電池切れのためありません、すみませんm(_ _)m)

被災地も少しずつですが、確実に前進していることを実感しました。松島は完全に観光都市として成り立っている町で、仙石線が再開したこともあって観光客が増えているなと思いました(前回訪問時は車でしか手段がありませんでした)。住宅街の内陸地域は訪問できなかったので、そこを見るとまた違った松島の顔が見られるかもしれないと思いました。石巻中心部は住宅街であり、観光地としては旧北上川沿いの石ノ森萬画館の辺りなのかなと思います。石巻駅から萬画館へ続く道沿いには石ノ森章太郎のキャラクター像が並ぶ「マンガロード」というものがあります。3月に訪れた時にマンガロードを通りましたが、アーケード商店街だった地域はアーケードがなくなり、お店も少なくなってしまっていたのが少し寂しかったです。その一方、新しいお店なども出ており、衰退しているわけではないと強く感じました。

 石巻駅改札付近にある仮面ライダーとサイボーグ007のフィギュア。「萬画の町」としての観光戦略が行われています!f:id:bad-hiyokko:20180813233744j:plain

明日は個人的にものすごく行きたかった場所に行ける予定なので、訪ねる場所柄、楽しみというのはもしかしたら不謹慎かもしれませんが、楽しみです。それについては明日書けるかなと思います。

 

それでは今日はこの辺で。またお願いします!

仙台

どうも、ご無沙汰しております(^^)

ということで、本日は私の暮らしている仙台について書いていこうと思います。

 

仙台で暮らし始めてから4ヶ月が過ぎましたが、その中で地元と大きく異なると思ったことがあります。それは……

とにかくイベントが多い!!

イベントと言っても様々な種類がありますが、私が言いたいのは「祭り」のような野外イベントのことです。

県庁や市役所のあるエリアにはちょっとした広場のようなものがあるのですが、そこではほとんど毎週のようにイベントが開催されています。実際には毎週ではないのかもしれませんが、そう思うくらい何かしらのイベントがあるような気がしています。

私の地元は札幌ですが、札幌ではこのような野外イベントはそう多く行われている印象はありませんでした。ですが、私はあまり市内中心部には行かない人だったので、もしかしたらやっていたのかもしれません……。

「祭り」と銘打って行われているものも多いと感じています。5月には「仙台青葉祭り」、そしてつい先日には「仙台七夕祭り」がありました。

f:id:bad-hiyokko:20180810225914j:plain

↑仙台青葉祭りではこんなに大きな焼き牡蠣が売られていました!牡蠣好きの私は即買いしました笑

仙台七夕祭りでの七夕飾り。中心部のアーケードが飾りでいっぱいになります。飾りのコンテストも行われていたようですが、私は金賞の写真を撮り忘れました……。f:id:bad-hiyokko:20180810230434j:plain

 

祭りやイベントが多いことには何ら不満はありません。しかし、多すぎるのもどうかと思ってしまいます。ただ、多いか少ないかの感じ方は人によって違うと思うのでなんとも言えませんね。

ですが、そのすべてのイベントでお客さんがいることを考えると、集客力は抜群なんだなと感じます。人を集める魅力的なイベントのある街。仙台はそんな街なのではないかと思う今日この頃です。

 

それでは今日はこの辺で。またお願いします!

 

当ブログについて

初めまして。

管理人についての軽い自己紹介と、このブログがどのようなものかについての簡単な説明をしようと思います。

 

私は都市計画について学びたいと考えている、仙台在住の大学生です。中でも、減災や復興といった、「災害に強い街作り」というものに強い関心をもっています。大学進学で親元を離れて暮らすことを選択しましたが、宮城で学びたいと思った理由も、「復興について自分の肌で感じたい」ということが一つにありました。

 

ここまで復興に関心を持つきっかけになったのが、7年前に発生した東日本大震災です。テレビで伝えられる被害状況がかなりの衝撃を伴って記憶されたこと、親族が石巻市に暮らしていたこと、実際に現地で被害を見たこと……。これらのことが積み重なり、現在に至ります。

 

さて、このブログについてですが、タイトル通り、都市と災害復興という二点について書いていこうと考えています。大学で今年の前期に受講したとある講義が、ブログ開設のきっかけになりました。「震災からの復興について考える」というような内容で、様々な分野の教授の講義と、名取市閖上のフィールドワーク、そしてそこから見えた問題の解決方法についての学生プレゼンからなるものでした。この中で、最も強く印象に残っていることがあります。それは「忘れることの恐ろしさ」。閖上でのフィールドワークで、以前津波が来たことを示す石碑があったにもかかわらず、「津波は来ない」という、言ってしまえば謎の伝承により避難しない人が多かったということを知りました。これに私は衝撃を受けました。事実を伝える石碑よりも、特に根拠のない伝承の方が力を持ってしまった。それでは同じ悲劇を繰り返すだけであり、実際に繰り返してしまったのです。

 

災害による犠牲を少しでも抑えたい、そのためには何よりも「災害について知る」ことが重要である。そう思った私は、自分で被災地を訪ね、現在の様子をこのような形で伝えていきたいと考えました。どれほど多くの人に見ていただけるかはわかりませんが、小さなことでも、発信することが必要だと考えています。

 

これに関連して、都市計画に興味を持っていることから、訪ねた街についても書いていこうと思っています。私は大学の街歩きサークルのようなものに所属しており、基本的に月一回のペースでフィールドワークを行っています。その中で、私の視点で気づいたことや、興味深いことなどについて書いていければなと思っております。

 

だらだらと書いてきてしまいましたが、今回はこの辺で。

どうぞよろしくお願いします!